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Riceshower



私が競馬にのめり込むきっかけとなった馬について書きます。


ダーティーなイメージのあった馬でしたが、いまだに根強いファンも多いです。




生い立ち・戦績



1989年北海道登別市ユートピア牧場で産まれる。
小柄だがバランスの良い馬体だった。


1991年3月 美浦 飯塚好次厩舎に入厩。


父リアルシャダイ 母ライラックポイント 母の父マルゼンスキー


生涯戦績 25戦6勝 獲得賞金 7億2949万7200円





raisusyaw- seiseki
     ※wikipediaより転載


8月10日新馬戦で1着、続く2戦目新潟3歳Sは11着、3戦目芙蓉Sで2勝目。


次走 皐月賞トライアル スプリングSで4着、皐月賞では8着。


ダービーを見据えたトライアル NHK杯でも8着。ダービーが懸念された。


そして迎えたダービー 18頭中16番人気の低評価をくつがえし、先行策で直線も粘りきり
ミホノブルボンの2着、馬連2万9580円の波乱の立役者となった。


このときステイヤーとしての資質が開花し始めたのかしれません。


順調に夏を過ごし迎えた秋、京都新聞杯はミホノブルボンの2着。以前までのミホノブルボンとの着差がだんだん縮まっているのが鮮明になっていた。


菊花賞では距離適性で逆転可能だと陣営は自信を深めていたという。


そして迎えた菊花賞、無敗馬史上2頭目のクラッシック3冠達成がかかったミホノブルボンが
単勝1.5倍の圧倒的1番人気 続く離れた2番人気 単勝7.3倍でライスシャワーだった。



レースはキョウエイボーガンの逃げで始まりミホノブルボンはそれに続き先行体制
ライスシャワーは5番手追走という展開。


2周目の最終コーナーでミホノブルボンが先頭にたち誰もがそのまま押し切ってミホノブルボンの
3冠達成かと期待していた。しかし直線半ばでライスシャワーがそれを差し切り1馬身1/4差で優勝。


このときのゴール後の競馬場の雰囲気は過去になかったと思われるムードで
京都競馬場は落胆とブーイングのような雰囲気になっていた。

このレースはまさしく私の背筋が震えるレースの1つでした。








続く年末 グランプリ有馬記念は8着惨敗。



もう1頭のライバル



翌1993年春は古馬になり天皇賞(春)を見据え目黒記念から始動。
負担重量59kgの酷量で結果は2馬身半差の2着。続く日経賞は1番人気に応え勝利。



次走は春の最大の目標の天皇賞、非常に厳しい調教が課され馬が壊れることが懸念されるくらいの
ハードな調教であった。天皇賞(春)2連覇中のメジロマックイーンに勝つためには必要な厳しい調教だった。



天皇賞当日、前走ダービーより-12kg 430kgと極限まで絞り込んでの出走。


当日のライスシャワーは「馬じゃない 別の生き物だ」と言われるくらい究極に研ぎ澄まされていた。


パドック映像を見ていた私でもライスシャワーの目つきから何から何まで極限で他の馬とは違うと思うくらい異様な雰囲気をかもし出していました。



当日はメジロマックイーンに続く2番人気。


レースが始まるとメジロマックイーンは中団追走、ライスシャワーはそれを見る位置で徹底マーク。


最後の直線半ばで捉えライスシャワーはメジロマックイーンに2馬身半差で優勝。


このレースも背筋が震えました。この頃から「刺客」と言われるようになっていました。







その後2年間のスランプを経験し、天皇賞優勝から2年後に天皇賞で見事復活優勝。

そのレースは勝ったと思ったステージチャンプの蛯名騎手のガッツポーズが印象的でしたね。







宝塚記念そして伝説ヘと


2年ぶりに天皇賞(春)を制したライスシャワー 宝塚記念のファン投票は第1位



阪神・淡路大震災の影響で、例年開催の阪神競馬場でなく京都競馬場での開催。


当日は3番人気、レースは後方を進み最初の第1コーナーで的場騎手は異変を感じていたそう。


第3コーナーで加速したが故障を発生し転倒。左第一指関節開放脱臼・開放骨折を発症し
診療所まで運ぶことができずその場で安楽死の措置がとられた。



「淀に咲き淀に散る」


京都で輝きを放ったライスシャワーの最期でした。






ライスシャワーよ安らかに。




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